リーダーの素養

O3_tokyolagoon2009-01-11

 「実験は美学だ」とかいう耽美的というか悪く言えば自己陶酔的な言葉があるんだけど,これはどうだろうか.
 オートメーション化できてない,もしくはする必要がない仕事は必ず人間が主体的にやることになる. ただし複数の人間が1つの実験系に関わる場合,そこには不定の実験者間誤差が生じるわけで,可能な限りそれを防ぐためには一連の操作に対する実験者の細かい配慮が必要不可欠だ. 原理を理解して,手順を覚えて,試薬と器具の準備を整えていざ系と対峙する. 実験中の全ての配慮は自分を機械にするためにあるし,機械的にやった実験は正確で再現性も高いに違いない. にも関わらず,個々の配慮は「熟練の技」とか「コツ」とかいう人間的な名称で呼ばれたりするんだから,やはりそこには不思議な矛盾がある.
 機械になるべきと言ってはみたけど,専門知識を持った人間が1つの目的を持って行動している以上は,必然的に何かしら自己主張が生まれる. 効果的な自己主張は実験の精度を高めるし,精度の高い実験をする人間は信頼される. 独創的な自己主張は,新しい発見にもつながる. だから実験中の自己主張は,実験者としてのプライドとも密接に関係してるはずだ. 況してや実験を生業としてる人間なら,実験者としての価値は職場での己の社会的価値とニアリーイコール. そんな環境で,あえて完全な機械になれた人間は史上1人もいない. 
 一方で,たいていの実験はチームワークだ. 多くの人間が系に関われば,それだけ実験者間誤差が乗算されていく. なら,1人のリーダーを任命して,全員をその指揮下におこう,という態度が当然生まれる. それは間違った態度ではないし,そうして得られたデータはそうでないものより再現性が高い. だけど先に言ったとおり,自己主張はプライドに肉薄している. だからメンバーの自己主張を抑えることは,ダイレクトに人間のプライドを傷つける危険性を孕んでいる. チームは長続きしない. 半年に1回班をシャッフルしよう,なんてことになる.
 少なくとも,1つの結果を全体が共有することをメンバー全員が自覚しているなら,自分の主張に対する理性の制御は自然と厳しくなる. 大人なら誰しもそうだ. 自分のミスが全体に響くことに対する恐怖感は,ともすれば実験者の積極性にも影響する. だからこそチームには,指揮官は必要なのかもしれない. だけどその指揮官の役目はメンバーの自己主張を抑えることではなくて,むしろ解放することにある. そういうリーダーは,メンバーの信頼を十分に集める人間なら,必ずしも優れた実験者である必要がない. どんなチームにも突出する人間は必ずいるけれど,自分はそういう要素を持ち合わせているかどうか,熟慮してから前に出る必要があるんじゃなかろうか.